2014年3月11日火曜日

3年前の自分、今の自分、3年後の自分

 2011年3月11日、14:46に僕は仕事で錦糸町のあるマンションのエレベーターホールにいた。

 大きな揺れが来て、あまりの揺れの大きさにこれは危ないと感じ、すぐ外に出てみたら、そのマンションがものすごく大きくしなって揺れていたのを覚えている。1度目の揺れで多くの人が外に出て来ていた。フィリピン系の女性がたくさん外に出てきて泣いてるのを見て、錦糸町にはたくさんのフィリピン人がいるんだなぁと思ったのを覚えている。仕事先に電話をしても繋がらなかったけれど、とりあえず一旦戻ろうと思った。運良くその日は、自分の原付バイクで錦糸町まで来ていたので、バイクに乗って大渋滞に巻き込まれることなく帰ることができた。通りに人が溢れている様子と大渋滞を見ながら、あまりに大きな揺れだったので、関東が震源だろうと考えていた。しかし、戻ってテレビを見ると震源は東北。僕の両親や姉が福島に住んでいるので、心配して電話をしたけれど全く繋がらない。

 その日はとにかくその頃住んでいた江古田の家に帰ったが、帰り道の目白通りも環七も普段は歩く人などまばらなのに、まるで難民のように多くの人で溢れていた。そして、その何日か後に福島第一原発が爆発した。

 それから、コンビニやスーパーから食べ物が無くなり、ガソリンスタンドに多くの自動車が並ぶようになった。原発が爆発して、東京に放射能が降り注ぎ、都内の水道水が「ただちに影響はない」けれど、セシウムが検出されて、コンビニやスーパーから一気にミネラルウォーターが無くなった。計画停電もあった。

 そして1週間後くらいにようやく家族と連絡がとれ、安否の確認ができた。原発の爆発をみて、西へ逃げようかと考えたけれど、福島に家族がいるし、まだ自分にも何かできるんじゃないかと考えてはいたものの、何も出来ずに家でテレビの原発情報と、政府と東電の発表を見ていた。そんな毎日が続いていたのだけれど、2011年3月30日にtwitterのギブミーベジタブルのアカウントに見知らぬ気仙沼の方から、小さい避難所には野菜が全然なくて毎日カップラーメンとパンで困っているとの連絡が入り、翌日に新宿motionに無理をいってお願いしてギブミーベジタブルを開催して、イベント終了後にその野菜を直接車で気仙沼へ持って行った。

 気仙沼について無事に野菜を渡し、その言葉にならないほどの被災地の現状を見て、自分にまだ出来ることはあると考え、それから実家が福島にあるということもあり、一人で南相馬や飯館村に物資を直接渡しに行くようになった。

 そんな毎日を過ごしているときに今ではギブミーベジタブルを一緒にやっている南風食堂の三原さんに声をかけてもらい「まんまる」という団体を同世代の仲間と一緒につくることになる。まんまるでは、福島県いわき市にある保育園に定期的に行き、外で遊べない子供たちと室内で音楽を一緒につくったり、Tシャツを作ったり、ダンスするワークショップをしたりした。福島のこどもたちを一時的にでも外で遊べるように夏には、東京都檜原村にある何年も使われていない廃校を一生懸命掃除して、キャンプを企画したりした。そんな活動をしている内にTAIYO33OSAKAの共同代表をやることになり、大阪へ引っ越すことになる。TAIYO33OSAKAの太陽大感謝プレ祭を開催した後、この団体のやり方と自分のやり方が違ったことと、個人的ないざこざもあり抜けることになった。その後、セルフ祭をやることになり、今ではそのセルフ祭が縁となり新世界のシャッター商店街「新世界市場」でお店をやることになった。そして、震災前から東京でひっそりと一人で定期的に開催していたギブミーベジタブルもいつの間にか全国各地で開催することになった。

 簡単に3年間の動きをまとめてみたけれど、3年前の震災があって、僕の中の何かが決定的に変わってしまった。震災当時、家族と連絡がとれなくなって、もう死んでしまったと感じたことで、当たり前だけれど人間は突然死ぬ可能性があるということを実感したことだ。それから、人間いつ死ぬかわからないのならば、自分のやりたいことをやろうと思ったこと、出来る限り人に対して悔いの残らない対応をしようと思ったこと、今あるものに感謝できるようになったことだ。そんなこと以前からやっているよという人には、当然の話かもしれないが、実感としてそれを感じることができて、自分にとっては震災は大きなことを気づかせてくれたと思っている。

 そして大事なのは、震災があって3年経った今、自分が何をしているかということだと思う。震災が起きてそれに付随する様々なことが見えて来たときに、まず自分が変わらなければいけないと思った。震災前と同じように仕事をして、モノを買って、ご飯を食べて、音楽やって、酒飲んで、遊んで、何も考えずには生きていてはいけないと感じた。そして、今がある。もちろん全然完璧ではないけれど、自分の行動の先に何があるか少しは考えるようになった。それに3年前に比べて、世間やテレビの中の人たちはわからないけれど、僕の周りの実際に会って、話せて、見れる範囲の人たちはみんな面白いことをしているし、それぞれの価値観で楽しい暮らしをしている人が増えていると感じる。だから、僕は3年後が楽しみでならないし、自分が3年後にどこで何をしているのかも実は楽しみだったりする。3年前の自分が今の自分を全く想像できなかったように、きっと3年後の自分も想像できないことになっているだろう。出来たら3年後には今よりもさらに、自分と自分の周りに楽しく生きている人たちが増えていたらいいと思う。