2012年7月5日木曜日

大飯原発の再稼働反対運動に行ってきた 2

その後、警察官と機動隊によって強制的に外に押し出された人たちは、彼らが作ったバリケードにより2度と中に入る事が出来なくなった。押し出された数百人の人たちは今度は外で座り込みを始めて、再稼働反対と声をあげ始めたのだ。


バリケードの中に取り残された人たちと、外に追い出された人たち、分断された民衆はそれでも「再稼働反対!」の声をあげ続けていた。僕はなんとかしてもう一度中に入ろうとしたけれど、警察官と機動隊がスクラムを組んで3重4重の壁を作り、それに阻まれて中に入る事はできない。その間にも一人ずつ外に出されていく。途中、警察官と市民のもみ合いが何度かあった。

バリケードの中に取り残された人たちの事が気になり、僕はなんとかして再び中に入ろうとしていたら、山側から中にもう一度入れるルートがあるということが解った。そして、夜になり真っ暗になった山の中を通って、急斜面を降りて泥だらけになりながら再びバリケードの中に入る事が出来た。

すると、中では機動隊がじりじりとそのスペースを占領し始めていた。それでもまだ太鼓の音が鳴り続けていた。少なくなった人数で市民も腕を組んで壁を作っていた。何度もその壁が壊されそうになる。僕はそこに行って壁が破られないように支えにいく。再稼働反対!と声を出しながら、なんとか押しつぶされないように必死で持ちこたえる。





僕は一体福井にきて何をしているんだろう?
何を守っているんだろう?
本当はこんな事したくない。
再稼働を止めて、原発で生活をしている人のその後の暮らしはどうなるんだろうか?
中東で起きたような革命なんて起きて欲しくない。
おまわりさんが市民を守って、いい政治家と首相がちゃんと国民の事を考えて、国を治めてくれればいい。

そんなことをずっと考えながらも、必死で壁を支えていたら、21:00を過ぎた頃、どこからともなく大飯原発が再稼働したらしいという声が聞こえて来た。僕らは原子炉に続く一本道を占拠しているはずなのに。

それでも鳴り止まない再稼働反対の声。僕は再稼働を止めるためにきたのに、こうもあっさりと再稼働してしまった。それでも、何故かその場を離れる気持ちにならない。それは、まだ諦めたくないという気持ちもあったけれど、それよりもこの活動が最終的にどういう形で終わるのか自分の目で確かめたかったからだ。








そして、0:00を過ぎた頃だっとおもうが、急に外のゲートの方から歓喜の声が聞こえて来た。何が起こったのかと思いそちらに向かうと、外の機動隊と警察官が一斉に帰っていったという。あまりにもあっけなく。一体さっきまでの固い壁は何のためにあったのだろう。外の市民と中の市民がもう一度ゲート内にあつまり、太鼓に合わせて踊り始めた。

どれくらいたった頃かわからないけれど、それまでマイクで「再稼働反対!」の声をあげていた主催者であろう人物が、「みなさん、僕らは遊びに来たんじゃないんですよ。これはレイブじゃないんです。ゴミの分別がひどいですよ。」と言った。それを聞いて、僕もゴミ拾いと分別の作業を手伝う。確かに所々脇の方にゴミが落ちていた。僕らは再稼働を止めに来たのだ。ここを荒らしにきたのではない。何人かの人が手伝ってくれて、一通りゴミをかたずけた。

しばらくして別の方が「明日以降も続ける場合、市民の人数が減って、機動隊が増えたら逮捕者が出る可能性があるので、今回の抗議はこれで解散することにします。」というアナウンスが入った。そして、僕のあとにIWJの映像を見て、急遽駆けつけておにぎりを50人分握って持って来てくれた友達の車で大阪に帰る事にした。

帰りの車の中でこの日起きた事をずっと考えていた。機動隊との衝突、警察官の小さな言葉、そこで鳴り続ける音楽、踊る人々、再稼働反対の声、無表情の機動隊と警察官。そして、再稼働した大飯原発。僕は3.11以降、実家が福島にあることもあり何度も福島にいった。飯館村にも行った。福島に何度も行く事で一生の付き合いになるだろう親友にも出会った。本当にたくさんの出会いがあった。そして、まんまる(http://www.ooo-manmaru-ooo.com/)という団体を通して、外で遊べなくなった子どもたちとも沢山接して来た。

僕は福島の原発が爆発するまで、何も知らずに東京で電気を使っていた。その首都圏の電気を作る機械が爆発したせいで沢山の人たちが悩んで、追いつめられ、苦しみ、子どもたちが外で遊べなくなったことを、本当に本当に後悔した。もう2度と同じような後悔はしたくない。だから、原発に関わる電気の使い方、自分の生活、お金について悩みながらも、抗議行動にも出来るだけ参加している。そして、反対するだけでなくその先にある未来を作ろうと、ギブミーベジタブルを含め、様々なプロジェクトをしているつもりだ。

朝6:00頃大阪に着くと、そこにはいつもと変わらない日常があった。車で3時間程、距離にして100km程度の場所で、あんな事が起こっていたとは思えない程に静かな月曜日だった。それでも今回、現地に行った事に後悔はない。自分で見て、自分で判断することが出来たからだ。何が本当に正しいのか? 全ての人が幸せになれる事を自分はしているのか?常に自分に問いかけながらも、出来る限り今度も行動していこうと思う。行動こそが未来を作るから。



↑5月に友達が大飯の海で撮ってくれた写真

2012年7月3日火曜日

大飯原発の再稼働反対運動に行ってきた 1


7/1(日)、大飯原発の再稼働に反対する運動に参加するために現地に行ってきた。


当然の事ながら、なかなか詳しい報道もされないだろう。全てを伝えきることはできないけれど、とにかく少しでも多くの人に伝わるように、自分が見たこと、感じたものを出来る限り書くことにします。


前日、現地からのIWJのustreamの映像を夜中に見た。とびかう怒号ともみ合いの映像をみて、胸がざわつき居ても立っても居られなくなり、翌日の早朝のミーティングを終えて、昼過ぎにヒッチハイクで大飯に向かった。

大阪から思ったよりもスムーズにヒッチハイクが出来て、お昼過ぎに出発して16:00頃に大飯原発についた。大飯原発は関西電力の敷地内から、トンネルをくぐり抜けて原子炉に辿り着く。なので直接原子炉は陸側からは見えない。陸路で原子炉へ行く道は一本しかない。そして、僕が到着した時には既に敷地の入り口付近を、民衆が占拠していた。




そこには、再稼働を反対するために全国から集まった多くの民衆が集まっていた。

入り口からバリケードを越えて敷地内に入ってみると、沢山の太鼓をならす人たちと、その音にあわせて踊る人、そして、機動隊が迫って来るのを腕と腕を組んで壁を作り阻止するひと。みんなが「再稼働反対!」と太鼓の音に合わせてシュプレヒコールをあげていた。




その様子を見た時に、僕はここに来るべきではなかったのかもしれないと思った。一瞬その様子が享楽的なものに感じたからだ。それでもそこにいる人たちに話をきくと、前の日から機動隊が攻めて来ないように夜通し人間の壁をつくり、夜通し音楽を鳴らし続けているという。そこにいる子供もお年寄りも、ただただ大飯原発の再稼働を止めたくて集まった一般市民だという事がわかった。

そして、18時を過ぎた頃、入り口付近から機動隊が集まって来たという声が来たので、急いで表の方へ行ってみた。すると(おそらく)100人以上の警察官と機動隊が待ち構えていた。






そこで、機動隊を突入させないために座り込みをすることになった。その列には若い女性や、お年寄りもいた。だから僕は正直かなりビビったけれど、逮捕されることを覚悟で最前列にいく事にした。そして座り込みを始めた。となりのおじさんが僕に「逃げたかったら逃げていいんだ。ここからは自己責任だ。何かされても絶対に手を出したり、抵抗したりしちゃだめだ。」と言われた。その時点で体が震えていた。本当に心の底から怖かったからだ。

そして、時間になると警察官4,5人が、一人一人端から無理矢理外へと連れ出す。僕は4人目位だった。隣のおじさんは連れ出される前に、両手を合わせて祈っていた。それでもあっけなく連れ出される。だから僕も同じように祈った。原発が再稼働しないように、誰も逮捕されないように。「ここに居座るのは違法です。ここからすみやかに移動してください。」と警察官が何度も話しかける。それでも僕は首を横に振り、祈り続ける。すると警察官は僕の両足と両肩をつかみ、病人を運ぶように外へと連れ出した。

いよいよ逮捕されるのかと思ったが、あまりに人数が多いためそのまま外へと運び出されて解放された。それでも一度外に出されると警官と機動隊の壁が出来て、中には再び入れなくなっていた。その間も一人づつ外へと運ばれていく、暴れる人もいれば無抵抗な人もいる。若い女性もいれば、お年寄りもいる。無理矢理力づくで外へ押し出す警官もいる。








僕は何度も壁になっている警察官に話しかけた。力づくでお年寄りや女性が運ばれて怪我をしそうなだから助けて欲しい。と。殆どの警察官は会話には一切答えてくれない。悪いのは警察官でも機動隊でもないのは解っている。それでも、我慢が出来ず「おまわりさんが僕ら市民を助けてくれなくて、誰が助けてくれるんですか!」と何人かに必死で話しかけたら、一人の警察官が小声で「本当にすいません。本当にすいません。」と何度もつぶやいていた。彼らもまた被害者なんだ。

というわけで書いていたら長くなってしまったので、2に続きます。