2012年11月29日木曜日

ギブミーベジタブル 3DAYSが終わって

11/23、24、25と京都 甘夏ハウス、大阪 四天王寺、名古屋 Tribal Artsで3日連続ギブミーベジタブルを開催した。

ギブミーベジタブルとは入場料が野菜で、アーティスト(音楽家、料理人、デコ、PA等)の出演料も野菜。さらにお客さんが持って来た野菜をその場で料理人が即興で料理して無料で振る舞う。ちなみに何度もいうけれど、僕はベジタリアンではない。

この3日間は本当に素晴らしい奇跡のようなパーティになった。お客さんが野菜をもちより、最高の料理人がそれを料理して無料で振る舞う。音楽家はその場の最高のバイブスを更に加速させる。そして、最後に余った野菜は出演者全員で出演料として分け合う。

ただ、これだけのことだ。本当にこれだけのことなのに、必ず毎回大量の野菜が集まり、最高の雰囲気が出来上がり、結果として出演者全員が出演料の野菜をたくさん持ってかえる。

僕がこのパーティーをやる時にいつも気をつけているのは、システムとしてちゃんと成り立たせるということ。つまり誰か(主催者や、お客さんや、アーティスト、お手伝いさんなど)に金銭面や体力面での負担(赤字)がかからないようにすることだ。

ギブミーベジタブルは2年間で13回行った。今回の3つのギブミーベジタブルを終えて、どの場所でも最高の雰囲気のパーティになり、システムが確立して来たことが自信に繋がった。そして僕はこのシステムでイベントをやる人が日本中、世界中で増えていって欲しいと真剣に考えている。

そのために、そろそろ(がんばって来年春くらい?)このイベントの仕組みを南風食堂の三原さんと相談しながら、文章や図でまとめてWEBで公開しようと考えている。誰でもできるようにしたいからだ。このパーティーに参加している時に感じるあの「感じ」をより沢山の人に感じてほしいから。そうすれば必ず何かが変わると真剣に信じている。本当はもっとその「感じ」を言葉でしっかりと伝える事が出来たらいいんだろうけれど、なかなか難しくてまだそれが出来ない。だから実際にその場所に行って、自分がギブミーベジタブルをやるか、その土地の人にやってもらうしかない。

今日本は確かに不安定な状況だし、不安を抱いている人も沢山いると思う。だけれど僕自身はこれはチャンスだと思っている。今までの常識がゆらぐ今だからこそ、無理だとだれもが思う事が出来るチャンスだと思う。自分がやっている事に不安になりながらも、前に進んで行けば必ず光は見えてくる。そう信じてギブミーベジタブルを続けて来て、今までは「かもしれない」だったけれど、それが徐々に「確信」の方向に進んで来ている。だから、僕は今後もこのイベントもっと沢山の人にやってほしいし、やりたい人がいたら、どこでも駆けつけたいと思うので、興味のある人は(080-6642-1483 or tripxtrip@gmail.com)まで連絡ください。

そして、最後に

京都甘夏ハウスでのオーガナイズをしてくれた、甘夏ハウスの葉月ちゃんとハイミ食堂のまなちゃん、料理人のaeeenケイコちゃん、野村誠さん、にしもとひろこちゃん、屯風亭とん平さん、悶亭乳尊さん、ニョキニョキさん、circle of vegetable、町家古本はんのき、ROCCA、麹のコトリヤ、ちこっと。大阪では、プリミ恥部白井くん
momasu、林業家の中井章太さん、月桃食堂、虹子、アジアの旅と味デジャブのワッキーさん、セルフ祭でもお世話になっている大ちゃんに、Wild Wizar
dはるき、ララバイ・スモークはんさん、急遽手伝ってくれた池田さん、四天王寺ノリノリの空庭さん、ゲルを立ててくれた土肥さん。名古屋ではオーガナイズしてくれたまっきーとtribal Arts高山さんに孝太郎くん。EIJIさん、岡沢じゅん君、ettのkeiさんと西本さゆりさん、Turtle islandの永山愛樹さん、jaajaの長谷川雄一くん、原田茶飯事くん、未完カレー、あや(lala natural)、ジョー石川(ホジャナスレッディン)、ミヤザキマチコ(lady bug)、neccco市の皆さん。いつもお世話になっている南風食堂の三原さん、COLORgungのわっきーに、生意気デイビッド。

そして、ギブミーベジタブルに来てくれたお客さんと野菜たちに大感謝!!!!!!

ありがとうございました!!!!!
また近いうちに必ずやります!!!!

ニョキニョキの野菜釣り@京都 甘夏ハウス

野祭壇 @大阪 四天王寺

イベント終了後みんなで野菜を分け合う最高の瞬間
@名古屋 Tribal Arts

ギブミーベジタブルHP:
http://gimmevegitable.web.fc2.com/







2012年8月13日月曜日

熊本のサイハテとゼロセンターでギブミーベジタブルを開催してきた。

8/2から8/10にかけて、熊本へ行ってきた。

それは、僕が東京にいる間からずっと続けているギブミーベジタブルというイベントを、熊本で開催するため。このイベントは入場料が野菜で、出演者のギャラも野菜。さらにお客さんが持って来た野菜をその場で料理人が即興で料理して無料で振る舞う。

そもそもこのイベントは、「音楽で飯を食う」という言葉を、文字通り体現するために、「歌う→お金→野菜→食べる」という流れを「歌う→野菜→食べる」という流れにしてみたら、どうなるだろうという単なる興味から生まれたイベントだった。ちなみに僕はベジタリアンではない。

ところが、第一回目を開催したときに、野菜が入場料の上に料理もフリーというお客さんの満足度が非常に高かった事、最後にギャラの野菜を出演者全員で分け合う際の不思議な満足感。そして、一番驚いたのは、主催者である僕は全員が野菜を持ち帰った後に残った野菜を持って帰るのだけど、最終的に一番野菜を持って帰るのは僕で、約半月は悠に暮らせる程の野菜が貰えるということだった。つまり、それほど大量の野菜が集まるということに本当に驚いた。

そんなわけで、この第一回目の成功がまぐれではなく、しっかりシステムとして成り立つのかということを立証するためにその後も何度かイベントを開催したところ、結果として毎回同じ事が起きた。そして、回を重ねるごとに多くの人が協力してくれて、料理人に対する配慮やイベントの内容も少しずつ改善していき充実していった(まだまだ改善点は多々あるけれど)。

東京で5回、大阪で1回開催して、いよいよ熊本で開催することになった。僕が東京にいるころから一緒に遊んだり、まんまるのメンバーとしても活動していたおはぎちゃんとうっちー夫妻が3.11をきっかけに熊本へ引越し、その土地で何かイベントをしたいという話をしていた時に、ギブミーベジタブルをやりたいと僕に話を持ちかけてくれた。そして、そこに東京の最も信頼出来る仲間達、南風食堂の三原さん、COLORgungのワッキー、VJ Akashic、かほちゃん、DJ SUNGA、かなこちゃん、YAMATくん、狂うクルーのチャイくんがやって来て協力してくれることになった。

結果としてサイハテとゼロセンターという熊本で今最も面白い場所といっても過言ではないこの2つの場所で開催することができ、どちらも大盛況だった。開催に至るまで熊本と大阪という距離の問題や、ギブミーベジタブルの仕組みや目的をちゃんと伝えていなかったために問題もいくつか起きたけれど、結果的にお客さんも出演者も料理人も開催場所の人たちもみんな満足してくれたと思う。そして、何よりも一番の収穫は、ギブミーベジタブルは地方でも都市でもどちらでもシステムとして成り立つということが解ったこと。

この「成り立つ」というのが非常に重要で、都市、地方、どちらかだけで成り立つのでは全く意味がない。つまりギブミーベジタブルは場所がどこであっても、持続可能なシステムだと言えることがわかった。熊本は3.11以降の移住者が多い土地だ。食に対する意識もかなり高く、食材の選び方から、調味料、ドリンクの材料の生産地まで徹底して調べて、安全を求める多くの人たちに出会うことで、多くの点でとても勉強になった。そして、そういう土地で、大盛況のうちに終わった事は自信にも繋がった。

僕はこのギブミーベジタブルというシステムを今後、ある程度マニュアル化して、誰でもどこでも自由に出来るようにweb上に公開できたらと考えている。そして、結果的に全国各地でこのシステムでイベントを開催する人が増えれば、何か面白い事が起きる予感がしている。更に言えば、世の中が少し良い方向に進んでいくのではないかと真剣に考えている。

熊本で開催し成功したことで、現時点で様々な土地からギブミーベジタブルを開催しないかとの声がかかっている。これはとても面白い現象だと思う。なぜなら全国で少しずつだけど、今までのシステムではない新しいシステムを求めているということだから。今後、声のかかった場所では、出来る限り自分も足を運んで、その土地に合ったやり方でギブミーベジタブルを開催したいと考えているので、是非興味のある方は連絡ください。

そして、今回熊本での開催の為に必死で動いてくれたおはぎちゃん、ウッチー、goodaクルー、サイハテの工藤真工くん、マキくん、チコくん、台湾のミキー、ゼロセンターの坂口さん、ヨネちゃん、ハンカクハンテン、野うさぎ市のみなさん、出演者のみなさん、おいしい料理を作ってくれた料理人のみなさん、多くの関わってくれた人に感謝を捧げたいと思います。素晴らしい夏の思い出をありがとう◎

またパワーアップして帰って来るので、是非また遊んでください!!!
よろしくお願いします!!!!

ギブミーベジタブル@ゼロセンター
流し野菜

ギブミーベジタブル@サイハテ
カラオケを熱唱する地元の中田貞子さん

ギブミーベジタブル@サイハテ
COLORgung&チコくん制作 野菜を載せる祭壇







2012年7月5日木曜日

大飯原発の再稼働反対運動に行ってきた 2

その後、警察官と機動隊によって強制的に外に押し出された人たちは、彼らが作ったバリケードにより2度と中に入る事が出来なくなった。押し出された数百人の人たちは今度は外で座り込みを始めて、再稼働反対と声をあげ始めたのだ。


バリケードの中に取り残された人たちと、外に追い出された人たち、分断された民衆はそれでも「再稼働反対!」の声をあげ続けていた。僕はなんとかしてもう一度中に入ろうとしたけれど、警察官と機動隊がスクラムを組んで3重4重の壁を作り、それに阻まれて中に入る事はできない。その間にも一人ずつ外に出されていく。途中、警察官と市民のもみ合いが何度かあった。

バリケードの中に取り残された人たちの事が気になり、僕はなんとかして再び中に入ろうとしていたら、山側から中にもう一度入れるルートがあるということが解った。そして、夜になり真っ暗になった山の中を通って、急斜面を降りて泥だらけになりながら再びバリケードの中に入る事が出来た。

すると、中では機動隊がじりじりとそのスペースを占領し始めていた。それでもまだ太鼓の音が鳴り続けていた。少なくなった人数で市民も腕を組んで壁を作っていた。何度もその壁が壊されそうになる。僕はそこに行って壁が破られないように支えにいく。再稼働反対!と声を出しながら、なんとか押しつぶされないように必死で持ちこたえる。





僕は一体福井にきて何をしているんだろう?
何を守っているんだろう?
本当はこんな事したくない。
再稼働を止めて、原発で生活をしている人のその後の暮らしはどうなるんだろうか?
中東で起きたような革命なんて起きて欲しくない。
おまわりさんが市民を守って、いい政治家と首相がちゃんと国民の事を考えて、国を治めてくれればいい。

そんなことをずっと考えながらも、必死で壁を支えていたら、21:00を過ぎた頃、どこからともなく大飯原発が再稼働したらしいという声が聞こえて来た。僕らは原子炉に続く一本道を占拠しているはずなのに。

それでも鳴り止まない再稼働反対の声。僕は再稼働を止めるためにきたのに、こうもあっさりと再稼働してしまった。それでも、何故かその場を離れる気持ちにならない。それは、まだ諦めたくないという気持ちもあったけれど、それよりもこの活動が最終的にどういう形で終わるのか自分の目で確かめたかったからだ。








そして、0:00を過ぎた頃だっとおもうが、急に外のゲートの方から歓喜の声が聞こえて来た。何が起こったのかと思いそちらに向かうと、外の機動隊と警察官が一斉に帰っていったという。あまりにもあっけなく。一体さっきまでの固い壁は何のためにあったのだろう。外の市民と中の市民がもう一度ゲート内にあつまり、太鼓に合わせて踊り始めた。

どれくらいたった頃かわからないけれど、それまでマイクで「再稼働反対!」の声をあげていた主催者であろう人物が、「みなさん、僕らは遊びに来たんじゃないんですよ。これはレイブじゃないんです。ゴミの分別がひどいですよ。」と言った。それを聞いて、僕もゴミ拾いと分別の作業を手伝う。確かに所々脇の方にゴミが落ちていた。僕らは再稼働を止めに来たのだ。ここを荒らしにきたのではない。何人かの人が手伝ってくれて、一通りゴミをかたずけた。

しばらくして別の方が「明日以降も続ける場合、市民の人数が減って、機動隊が増えたら逮捕者が出る可能性があるので、今回の抗議はこれで解散することにします。」というアナウンスが入った。そして、僕のあとにIWJの映像を見て、急遽駆けつけておにぎりを50人分握って持って来てくれた友達の車で大阪に帰る事にした。

帰りの車の中でこの日起きた事をずっと考えていた。機動隊との衝突、警察官の小さな言葉、そこで鳴り続ける音楽、踊る人々、再稼働反対の声、無表情の機動隊と警察官。そして、再稼働した大飯原発。僕は3.11以降、実家が福島にあることもあり何度も福島にいった。飯館村にも行った。福島に何度も行く事で一生の付き合いになるだろう親友にも出会った。本当にたくさんの出会いがあった。そして、まんまる(http://www.ooo-manmaru-ooo.com/)という団体を通して、外で遊べなくなった子どもたちとも沢山接して来た。

僕は福島の原発が爆発するまで、何も知らずに東京で電気を使っていた。その首都圏の電気を作る機械が爆発したせいで沢山の人たちが悩んで、追いつめられ、苦しみ、子どもたちが外で遊べなくなったことを、本当に本当に後悔した。もう2度と同じような後悔はしたくない。だから、原発に関わる電気の使い方、自分の生活、お金について悩みながらも、抗議行動にも出来るだけ参加している。そして、反対するだけでなくその先にある未来を作ろうと、ギブミーベジタブルを含め、様々なプロジェクトをしているつもりだ。

朝6:00頃大阪に着くと、そこにはいつもと変わらない日常があった。車で3時間程、距離にして100km程度の場所で、あんな事が起こっていたとは思えない程に静かな月曜日だった。それでも今回、現地に行った事に後悔はない。自分で見て、自分で判断することが出来たからだ。何が本当に正しいのか? 全ての人が幸せになれる事を自分はしているのか?常に自分に問いかけながらも、出来る限り今度も行動していこうと思う。行動こそが未来を作るから。



↑5月に友達が大飯の海で撮ってくれた写真

2012年7月3日火曜日

大飯原発の再稼働反対運動に行ってきた 1


7/1(日)、大飯原発の再稼働に反対する運動に参加するために現地に行ってきた。


当然の事ながら、なかなか詳しい報道もされないだろう。全てを伝えきることはできないけれど、とにかく少しでも多くの人に伝わるように、自分が見たこと、感じたものを出来る限り書くことにします。


前日、現地からのIWJのustreamの映像を夜中に見た。とびかう怒号ともみ合いの映像をみて、胸がざわつき居ても立っても居られなくなり、翌日の早朝のミーティングを終えて、昼過ぎにヒッチハイクで大飯に向かった。

大阪から思ったよりもスムーズにヒッチハイクが出来て、お昼過ぎに出発して16:00頃に大飯原発についた。大飯原発は関西電力の敷地内から、トンネルをくぐり抜けて原子炉に辿り着く。なので直接原子炉は陸側からは見えない。陸路で原子炉へ行く道は一本しかない。そして、僕が到着した時には既に敷地の入り口付近を、民衆が占拠していた。




そこには、再稼働を反対するために全国から集まった多くの民衆が集まっていた。

入り口からバリケードを越えて敷地内に入ってみると、沢山の太鼓をならす人たちと、その音にあわせて踊る人、そして、機動隊が迫って来るのを腕と腕を組んで壁を作り阻止するひと。みんなが「再稼働反対!」と太鼓の音に合わせてシュプレヒコールをあげていた。




その様子を見た時に、僕はここに来るべきではなかったのかもしれないと思った。一瞬その様子が享楽的なものに感じたからだ。それでもそこにいる人たちに話をきくと、前の日から機動隊が攻めて来ないように夜通し人間の壁をつくり、夜通し音楽を鳴らし続けているという。そこにいる子供もお年寄りも、ただただ大飯原発の再稼働を止めたくて集まった一般市民だという事がわかった。

そして、18時を過ぎた頃、入り口付近から機動隊が集まって来たという声が来たので、急いで表の方へ行ってみた。すると(おそらく)100人以上の警察官と機動隊が待ち構えていた。






そこで、機動隊を突入させないために座り込みをすることになった。その列には若い女性や、お年寄りもいた。だから僕は正直かなりビビったけれど、逮捕されることを覚悟で最前列にいく事にした。そして座り込みを始めた。となりのおじさんが僕に「逃げたかったら逃げていいんだ。ここからは自己責任だ。何かされても絶対に手を出したり、抵抗したりしちゃだめだ。」と言われた。その時点で体が震えていた。本当に心の底から怖かったからだ。

そして、時間になると警察官4,5人が、一人一人端から無理矢理外へと連れ出す。僕は4人目位だった。隣のおじさんは連れ出される前に、両手を合わせて祈っていた。それでもあっけなく連れ出される。だから僕も同じように祈った。原発が再稼働しないように、誰も逮捕されないように。「ここに居座るのは違法です。ここからすみやかに移動してください。」と警察官が何度も話しかける。それでも僕は首を横に振り、祈り続ける。すると警察官は僕の両足と両肩をつかみ、病人を運ぶように外へと連れ出した。

いよいよ逮捕されるのかと思ったが、あまりに人数が多いためそのまま外へと運び出されて解放された。それでも一度外に出されると警官と機動隊の壁が出来て、中には再び入れなくなっていた。その間も一人づつ外へと運ばれていく、暴れる人もいれば無抵抗な人もいる。若い女性もいれば、お年寄りもいる。無理矢理力づくで外へ押し出す警官もいる。








僕は何度も壁になっている警察官に話しかけた。力づくでお年寄りや女性が運ばれて怪我をしそうなだから助けて欲しい。と。殆どの警察官は会話には一切答えてくれない。悪いのは警察官でも機動隊でもないのは解っている。それでも、我慢が出来ず「おまわりさんが僕ら市民を助けてくれなくて、誰が助けてくれるんですか!」と何人かに必死で話しかけたら、一人の警察官が小声で「本当にすいません。本当にすいません。」と何度もつぶやいていた。彼らもまた被害者なんだ。

というわけで書いていたら長くなってしまったので、2に続きます。











2012年4月20日金曜日

見えない力〜携帯紛失 後編〜

長らくお待たせしました。見えない力〜携帯紛失 後編〜をお送りします。(前編 中編)

というわけで、携帯電話のありかがわかったものの結局とることが出来ない。。でもなんとかiPhoneを回収しなくてはいけない。でも一体何時に扉の鍵が開くのか解らない。このままではどうする事も出来ないので、とりあず一度鈴ん小屋に戻り案を考えることにした。

念のためゴミの収集日を調べたところ、次の日が燃えるゴミの回収日。。。明日の朝、必ず取り戻さなくてはいけないと考え、張り紙を作ってゴミ置き場の扉に張る事にした。

「管理人様 突然の張り紙失礼致します。昨夜、私のiPhoneを探していたところ、このマンションのゴミ捨て場の中にあることが解りました。とても重要なデータが入っているため、お手数ですが、この張り紙に気がつきましたら下記の電話番号までご連絡ください。大変ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします。」と書いて、鈴ん小屋の電話番号を掲載して、再びマンションへ張り紙を張りにいった。かなり怪しげな張り紙だと思いつつも、これしか方法はない。

そして、その日は鈴ん小屋に泊まることにして、眠りについた。

次の日の朝、目が覚めると電話の音がなっている!急いで、電話をとると。。。
マンションの管理人からの電話!もう一度、iPhoneがそこにある経緯を話してて、受話器を置き、急いでマンションに向かった。すぐに管理人室へ行ったところ女性の管理人の方が僕のiPhoneを手にしていた。

話を聞くとマンションの近くを掃除していたところ、画面の割れた(元々割れていた)iPhoneが落ちていたため、壊れているのだと思いゴミ置き場に捨てていたとの事。

とにかく長い道のりをへて久々に再び出会った僕のiPhone。僕のiPhone。もし、icloudを登録していなかったら、マンション付近を歩いている時に携帯電話を誰かが掛けていなかったら、ゴミの収集が落とした次の日だったら。そう考えると、携帯電話を無くして見つかったことも、何かの見えない力が働いているのではないかと思うわけですね。

とかなんとか考えつつ、もう2度とiPhoneをなくすまいと心に誓い、首から下げる携帯ストラップを買ったのでした。

かしこ

天草で見た虹の光
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2012年4月5日木曜日

見えない力〜携帯紛失 中編〜

前のブログに引き続き、携帯電話紛失 中編をお送りします。(前編はこちら

というわけで、再びJR池袋駅の落とし物センターに向かった。もう一度PCを取り出し、JRの駅員さんに線路上に自分のiPhoneが落ちている事を説明して、なんとかしてGPSが指す場所まで探しにいく事が出来ないかと相談してみたところ、池袋駅は埼京線、山手線、東武東上線、西武池袋線が往来しているためにこの場所に行くには、全ての電車を止めてから捜索しなくてはいけないという。そのためには莫大な金額がかかるのだ。さらにGPSが指す場所はいずれの線の管轄でもない土地のために、どこに責任があるかわからないという。

駅員さんと相談し、深夜に全ての終電が終わった後、捜索に行けないかという提案をしたところ、それも勤務外なので難しいという。そこで色々と案を出したところ、次の日の早朝、明るくなった後に橋の上から黙視でiPhoneの場所を確認し、確実にその場所にあると解った場合のみ、電車の合間を見て一緒に携帯電話を取りに行くということで、なんとか合意に至った。半ばiPhoneが戻って来る事をあきらめつつ、次の日の始発の前に橋の上からiPhoneを探しに行かなくてはいけないために、池袋駅から近い鈴ん小屋にお願いして一泊させてもらう事にした。

鈴ん小屋のスタッフにこの経緯を話し、自分のiPhoneがどの場所にあるかを説明するためにもう一度icloudでiPhoneを探す機能を使ってみた。

すると、なんと今度はiPhoneの場所が橋の下から別な場所へと移動していた!!!!

その場所は、淳平くんが前日に車を止めていた鈴ん小屋の近くの駐車場を指していた。そこで、再びその駐車場に向かい何度もゴミ箱をあさり、車の下を覗き、iPhoneを捜索してみたけれど、やっぱりどこにも見当たらない。何度か鈴ん小屋から自分の携帯電話にコールをしてもらったものの着信音もバイブの音すら聴こえない。仕方なくもう一度鈴ん小屋に戻り、icloudを使ったみたら、なんと更にiPhoneの場所が移動していた!

誰かが僕のiPhoneを持って移動している可能性もあると考えたけれど、そんな少しの距離を他人のiPhoneを持って行ったり来たりするわけがない。とにかくそのGPSが指す場所一帯を今度はくまなく捜索したみた。けれどもやはり見つからない。そこで、その区画全体を夜中に一人で探しまわったみた。それでもまったくどこにも見当たらない。半ば諦めかけ、時間も遅かったので鈴ん小屋に戻ろうと思った。

すると、どこからともなくiPhoneの着信音が聴こえてくる。。。!!!

必死で耳をすまして音のする方へ行ってみる。都会の雑音に惑わされながらも、徐々に音が大きくなってくるのがわかる。そして、ようやく音の在りかを突き詰めると、そこは駐車場からすぐ近くのマンションのゴミ置き場だった!そこで、ゴミ置き場の扉を開けて、中を探そうと思ったところ、今度はゴミ置き場の扉に鍵がかかっていて中に入る事ができない!なんとかして中に入ろうといくつかの扉を調べてみたけれど、全ての扉の鍵が閉まっている。。。

というわけで後編につづきます

池田社長

写真は屋久島の森の中に生えていた不思議な木
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2012年4月3日火曜日

見えない力〜携帯紛失 前編〜

先日、3月12日にTAIYO33SUMMIT in 東京〜料理人サミット〜を開催するために東京に行った。

いつもお世話になっている池袋の鈴ん小屋で、池田社長×生意気デイビッドのライヴ、マッカーサーアコンチのKTRさんのライヴ、そして料理人サミットでは、南風食堂の三原さん、paradice alleyの勝美淳平くん、vege食堂のyoyoちゃん、そして一緒にTAIYO33OSAKAで代表を務め、大阪の南森町てんというお店でカレーをつくっているアチャコさんの4人に料理人の視点から、3・11以降、食べ物を提供する料理人達が何を考えているのかトークをしてもらった(サミットのアーカイブはこちら)。

その帰り、鎌倉に行くために淳平君の車にのった。神奈川に入った辺りで、自分のiPhoneを無くした事に気がついたけれど、既に夜も老けて引き返すには遠く、おそらく鈴ん小屋に忘れたのだろうと思い。そのまま鎌倉へ向かった。

次の日の朝、何度か自分の携帯に電話してみた。何度かコールが鳴るけれど、誰も出ない。これは鈴ん小屋に忘れたのではなく、途中で落とした可能性があると思いiPhoneのicloudという機能を使い、自分のiPhoneが今どこにあるのかGPSの機能で検索してくれるサービスがあることを思い出し、早速使ってみた。すると、google MAPが表示され池袋の線路の上にあることが解った。おそらく池袋駅の忘れ物センターの預かり所に保管されていると考え、優雅に昼間はParadice alleyでパン作りをして、夜になってから鎌倉から池袋へと向かった。

22:00頃池袋駅に着いて、落とし物センターに行きiPhoneの落とし物がないか問い合わせてみた。けれどそんなものは届いていないという。そこで、落とし物センターでPCを開き、駅員にiPhoneがある場所を見せて、地図上を指差し、ここにある事を説明したところ、その場所は線路の上だという。

そこで、一度駅を出てicloudの地図が指す場所に行ってみたところ、池袋駅を東口から西口へとわたる大きな橋のちょうど真下だった。夜も遅く暗かったので、線路上に何があるのか全く見えない。この場所に落としたのは考えられない。でもicloudは確実にこの場所を差している。そして、一度池袋警察に連絡し、池袋の線路上にiPhoneを落とした旨を伝えると、線路上はJRの管轄なのでJRに問い合わせてくれと言われ、再び池袋駅の落とし物センターに向かった。

という事でまだまだ続くので、つづきは後編に。
近いうちに更新します◎

池田社長

写真は、東京から屋久島まで自転車で旅行をした時に、熊本県の天草半島で見た光の束
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2012年4月2日月曜日

ブログを始めました。

2月1日に東京から大阪に引っ越して来た。

TAIYO33OSAKAを本腰を入れてやるため、そして放射能のストレス&危険性から解放されるために。

2011年3月11日以降、最初に被災地に入ったのは、4月の上旬の宮城県気仙沼市だった。なぜ、縁もゆかりも無い気仙沼に行く事になったのかというと、僕が主催する入場料、アーティストのギャラが野菜のイベント「ギブミーベジタブル」というイベントのtwitterアカウントに、野菜が足りないという情報が寄せられたからだ。そのすぐ2日か3日後に新宿motionというライヴ・ハウスを急遽貸し切り、イベントを開催し、集めた段ボール10箱分の野菜を当時野菜を食べる機会が殆どなかった気仙沼の浄念寺という小さな避難所に自分で車を運転して持っていった。詳しい事はこちらに書いてあるので、省かせてもらうけれど、その後、自分の実家が福島にあるということもあり、何度も福島や宮城に行き自分の目でその状況を見て来た。ちなみに僕の実家のホットスポットは30.5μSv/hある。



色々な状況を見て、学び、調べ、考え、結論として、大阪に引っ越すことにした。

大阪に引っ越してその雰囲気にのまれてなのか、時間が経過したからなのか解らないけれど、少しずつ危機感が薄れてきているのが自分でもわかる。これから福島、東京、日本に何が起きていくのかわからないけれど、1年後なのか3年後なのか5年後、自分の発言や行動がどんな結果に繋がるのか記録を残したいと思いブログを始める事にた。

今後、ブログはなるべく更新していくつもりなので、みなさん是非読んで下さい◎
どうかお付き合いをよろしくお願いします!!!!

池田社長

写真は2011年2月にアメリカ、ホピの村へ向かう途中の写真
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